パール世代・終活インタビュー看取り士 柴田久美子さん
柴田久美子(しばたくみこ)
●1952年、島根県出雲市生まれ。日本マクドナルド社勤務を経て、特別養護老人ホームの寮母を振りだしに、介護スタッフ、ヘルパーなどを経験。2002年に病院のない人口600人の島根県の離島に、自然死を看取るための施設として「なごみの里」を設立。2011年に、活動の拠点を鳥取県に移し、新たな終末期介護のモデルをつくるため奔走中。
● 吉備国士大学短期大学部 非常勤講師
● 神戸看護専門学校 非常勤講師
● 一般社団法人 日本看取り士会 代表理事
● 一般社団法人 なごみの里 代表理事
最期の1%の幸せを叶える
エンゼルチーム
柴田さんが代表を務める「なごみの里」では、在宅での介護や看取りの活動を支えるため、
看取り士の資格を持っている人とともに、旅立つ人を見送る無償のボランティア「エンゼルチーム」という仕組みづくりを進めている。
全国どこにいても、安心して、家で死ぬことを選べる環境を整えていくことがねらい。
私のミニエンディングノート
*人生最後に食べたいもの(最後の晩餐)
砂糖ひとなめ
*人生最後に行きたいところ
家族と一緒に行けるところなら
どこでも。
*天国に持っていきたいもの
愛。物はいらない。
*天国で会いたい人
マザーテレサ
*生まれ変わったらなりたい職業
命のバトンは受け継ぐもの。
だから、生まれ変わらない。
抱きしめて送る魂のバトンを引き継いで
自分で死に様を選べない死にゆく人の尊厳とは
2025年には、人口構成比が突出している団塊の世代が75歳以上の後期高齢者となり、4人に1人が高齢者という超高齢社会が到来する。その頃には、単身者世帯の割合も高くなっていると予測され、最期を病院のベッドで迎える人が増えるだろうといわれている。このままではベッドの数は必ず足りなくなる―― 「家族もいない、頼れる親戚もいない、という人の死に場所がない時代が来てしう」と、在宅介護や看取りを支援する一般社団法人なごみの里の代表理事で、自身も看取り士の柴田久美子さんは懸念する。そもそも柴田さんが看取り士としての活動をスタートとさせたのは「マザーテレサの精神に感銘を受け、死にゆく人の幸せな最期に寄り添いたい」と考えるようになったことがきっかけ。思い立ったが吉日と、勤めていた会社を辞め、介護士となり、養護施設や老人ホームで看取りの現状を知ることから始めた。そこで目の当たりにしたのは「理不尽な現実」だったという。本人がいくら自宅で死にたいと願っても、家族や医師の理解を得られず、たくさんの管につながれて病院のベッドで死んでいくしかなかった人たちのいかに多いことか。「死に直面した人の尊厳があまりにも簡単に踏みにじられている」と悲しくなった。「尊厳とは、本来、自己決定が尊重されることによって守られるもの。自分で死に様を選べないなんておかしい」と、現在の終末期医療には改善の余地があると柴田さんは訴える。
父親の死が教えてくれた死生観
柴田さんの死生観の礎となっているのは、子どもの頃に亡くした父親の臨終まで遡る。余命3か月といわれたお父さんは、最期の時を自宅で過ごすことを選び、自分の布団の上で「ありがとう」といいながら、静かに亡くなっていった。柴田さんは、握りしめていた父親の手が冷たくなるまで、そのまま何時間も泣きながら抱きしめ続けていた。そして、このとき「父の体からエネルギーの塊のようなものが放出され、命のバトンを受け継いだ」ことを体感したという。父親の穏やかな死に様と、命のバトンを受け継ぐ経験をしたことで、柴田さんにとって、「死は怖いものでも何でもなく、感動的なもの」になった。
自宅で死ぬことを選べる社会に
看取り士としての仕事は、最期の瞬間に立ち会うだけではない。余命告知を受けてから納棺まで、長期にわたってお世話をすることもある。看取りの相談を受けたら、家族からの依頼であっても、可能であれば、本人の意思を確認することから始める。
● どこで死にたいか。
● 誰に看取られたいか。
● 延命はどうするか。
自宅で自然死を望む場合は、家族とともに最期まで寄り添い、臨終から体が冷たくなるまで抱きしめて送る。臨終とは、臨命終時の略で、文字どおり、命が終わる時に臨むということを表している。「命のバトンは、この臨終の時から始まっています。しっかり抱きしめて、魂を受け継がなければ」と語る柴田さんには、「全ての人が最期、愛されていると感じて旅立てる社会創りをしたい」という夢がある。そのためにも、看取りを通じて、最期は命の受け渡しの尊い時という死生観を広く伝えていかなくてはならないと考えている。
「看取りは宝です。必ずあなたの財産になるはずです」