亡き母に墓前で“ありがとう”の気持ちを伝える「母の日参り」ハートフルタイム 尾木ママ「母を語る」集い
母の日参り
亡き母に墓前で“ありがとう”の気持ちを伝える
「母の日参り」が近年広がりを見せています。
米国発祥の「母の日」が日本に伝えられて
今年でちょうど100年。
尾木ママこと教育評論家の尾木直樹氏を
スペシャルゲストに迎え、
亡き母との思い出を語るトークイベントが開催されました。
亡き母を偲ぶ一人の女性の想いから生まれた「母の日」
母親への日頃の感謝を表す日として世界的に知られている「母の日」。
もともとはフィラデルフィアに暮らす米国人女性アンナ・ジャービスが、
1905年に他界した母を偲ぶ日々の中で、世の母親に感謝を表す記念日づくりを思い立ち、
呼びかけたことが始まりでした。
1908年5月10日、アンナの母が長年教鞭をとっていた教会で「母の日」を祝う会が催され、
アンナは母が好きだった白いカーネーションの花を祭壇に捧げました。
以来、「母の日」の輪は米国全土に広がり、ついには1914年、
ウィルソン政権下の連邦会で5月の第2日曜日を「母の日」と定める法律が可決されました。
翌1915年の施行により、青山学院大学のアレクサンダー教授によって日本に初めて紹介されたといわれています。
日本では100回目となる「母の日」
今年、日本では100回目となる「母の日」を記念し、発祥地である米国の「母の日協会」へ贈る
折り鶴づくりのミニワークショップが開かれました。
尾木さんも折り紙の裏面にメッセージを書き添えて、55年ぶりの折り鶴を完成させました。
尾木さんの愛情あふれる人柄と楽しいトーク、そして折り鶴の一折一折に込められた母への想いや大切な人への祈りで、
会場は終始温かな雰囲気に包まれていました。
「母の背中の感触をしっかり覚えている」
母親はしつけに厳しい人で、寝る前に翌日着る服をきちっとたたんで枕元に用意し、
起きたら着替えて、歯を磨いて顔を洗って、一連の行動が分刻みで決まっていました。
けれども病気になった時なんかはとにかく優しくて、お粥を作って食べさせてくれたり、
好きなものを買ってくれたり、すごく甘えさせてくれたんです。
だから病気になるととっても嬉しかったの。
滋賀県の田舎育ちなんですけど、いろりがあって掘りごたつみたいに布団をふわっとかけてあったんです。
うっかりその布団の真ん中に乗ってしまって、落とし穴に落ちるみたいにはまったの。
その拍子にいろりの角のところで額を切ってしまい流血しちゃった。
その途端、母親が泣き出して「お母さんの責任だ、ごめんね、ごめんね」って言い続けながら、
僕をおんぶして真っ暗な山道を40分くらい走って隣村のお医者さんのところに連れて行ってくれたの。
あの走り続けた時の母親の背中の温もり、揺れを、還暦過ぎてもずっと覚えているんです。
親のありがたみって、いくつになっても忘れられないものですね。
「直樹は、子どもの気持ちがわかるいい先生になる」
父親もおおらかな人でした。97歳で亡くなるまで、兄弟3人とも殴られたり胸ぐらつかまれたりということが
一度もありませんでした。
ところが中学で教師に殴られたことがあって、父親は抗議に行きました。
今でいうモンスターですよ。
高校でも友達が教師から殴られるのを見て、僕は耐えられなくなってその場で抗議したんです。
その教師に「授業に出なくていい」って言われたもんだから出なかったの。だから高1を2回やりました。
将来何になろうかと悩んでいた時、教師という選択なんてなかったんです。
そしたら母親が、「直樹は、先生に叩かれたり、お友達が叩かれているのに抗議して1年余計に高1をやるはめになったり、
先生のおかげで嫌な思いをさせられてきた。だから、つらい思いをしている子とか、不登校の子とか、病気がちな子とか、
勉強できない子の気持ちがわかるいい先生になれる」って言うんです。コロッと納得して、教師になりました。
母親も小学校の先生でしたから、言葉で叱ったり諭したりが上手でした。勉強しろ、なんて言わないんです。
いつやるの?と聞くんです。「明日日曜だから、明日やるよ」と返したら、
「明日ありと思ふ心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」と親鸞聖人の歌を教えてくれました。
小学5年生でしたが心にすごく響いて、ノートに書き留めたことを覚えています。
これが浸み込んじゃって、今もって今日できることを無責任に明日に伸ばすようなことはしません。
これは母親のおかげだと思います。そして、高校入試、高1を2回、大学受験、教員採用試験、内地留学の面接、
ことごとく落ちている僕に、「直樹は大器晩成。独活(独活の大木)よりも山椒(山椒は小粒でもぴりりと辛い)がいい」など、たくさん教わりながら、励まされてきました。
「感謝の気持ちがあれば、明日は必ず開かれる」
お墓参りの風習は、大事にしてもらいたいと心から思います。存命のお母さん、先祖代々のお母さんへの思いを胸に温めて、今生きている感謝の思いを墓前で伝える。「感謝、感謝」と母親もよく言っていました。
感謝の気持ちがあれば、明日は必ず開かれるものなのだと教えてくれました。
東日本大震災の被災地を訪れた際、皆さん困っておられるのに、感謝の言葉ばかり返してくださるんです。
「自分以外の家族は全員亡くなったけれど、家族の分も生きていこう。生き残ったのはありがたいことなんだから」
と話してくださった方も、そうやって半歩前へ進んでいく。母親の言っていた通りでした。
ゴールデンウィークに、「母の日参り」なんてすばらしいですね。
僕も今日、母親のことをいろいろ思い出し、改めて“いっぱい教えてくれてありがとう”と感謝の気持ちでいっぱいです。