庶民の墓自体、建てるのが普通になったのは江戸時代中期以降のことだと言われている。「幕府がキリスト教禁止令を発布すると同時に、民衆の戸籍を寺で管理するような制度を作ったことで、所在が安定し、その土地と寺の作法に基づいた墓を建てるようになりました。だいたい17世紀後半から18世紀にかけて全国に広まったそうです」
天草四郎率いる島原の乱(1637~1638)などを経て、全国の民衆が寺請制度の下で管理されるようになり、集落が安定してから、じわじわと墓を建てる風習が広まっていたというわけだ。
日刊SPA 2015/02/14 取材・文/長谷川大祐(本誌) 古田雄介